HeavenWorks Ministryでは、今週断食祈祷を行ない、イスラエルや世界各地の戦争の中止、夏至に世界中で行われる悪魔崇拝者たちによる血の生贄儀式と中国犬食祭の無効化と、犠牲にされようとしている全ての生き物、人の命の救出を祈っています。
詳しくはこちらの記事をご覧下さい。
一線を超えた苦しみ
私は最近、小さな頃から常識を超えた痛みや恐怖があることを体験的に知り「死んだ方がましと思えるほどの痛み、苦しみがこの世にはある」という事実に打ちのめされて来た領域がある事に、気づきました。
生後6か月頃、腸ねん転で生死を彷徨い生還しましたが、発病時赤ちゃんの私は相当な痛みに苦しんだでしょう。
さらに数か月後、母親が育児本からの間違った知識で私の両脚にギブスをはめたため脱臼し、タコのような脚になり、医者からは「この子は一生歩けない」と言われましたが、祖母が凄腕の按摩師の所へ私を連れて行き、通い続けた結果、奇跡的に歩けるようになりました。
大の大人でも悲鳴を上げるほどの痛い治療だったらしいですが、赤ちゃんの私は泣き声一つ出さずに耐えていたそうです。治療は保育園時代まで続きました。
小学時代には父親からの激しい虐待に怯え、朝起きるとストレスから大量の髪の毛が抜けて枕を埋め尽くしました。
学校でも虐めに遭いましたが、家に帰るのがもっと苦痛で、この頃悲しみで顔を上げて歩くことが出来ず、いつも背中を深く折り曲げて歩いていました。
近年は十二指腸潰瘍になり、最高レベルの穿孔で完全に穴が空き、言葉では説明出来ない痛みに、長期間もがき苦しみ、最後はあまりの激痛に失神して救急車で病院へ運ばれました。
(最近主イエスはこの時の事を「本来の痛みより軽減していた」とおっしゃっていました。)
こうした「逃れられなかった痛み・苦しみ・悲しみ」の体験の積み重ねにより、私の中でそれらは恐怖となり、一時期心の底から(痛みを味わう位なら楽に死にたい)という希死念慮につながる思想にまで発展したように思います。
辛い経験が私にもたらした良い点をしいて挙げるなら、病の人への癒しの祈り、虐待されている命たちの救いと守りを真摯にとりなし続けている今の神の働きにつながっていると言えるかも知れません。
さらに悪魔崇拝者たちから逃れた虐待サバイバーの話を聞くと、私が受けた虐待など小さな事で、むしろ自分以上のトラウマを植え付けられた人々のために祈る原動力として、自分の虐待体験が用いられているとすら思えます。
ですが、長引く苦しみは人格をも変えてしまう力があります。
一線を超えた長期間の苦しみは、決して人生に祝福をもたらすとは思えません。
待ち続けるだけでは心が病む。
かなえられた望みは命の木。(箴言13:2 新共同訳)
被造物たちのうめき
ある中国の奥地では、胆のうのための漢方薬作りのために、生きたままの熊の胆のうに管を突き刺して、ウルソ成分を取り出します。
熊はあまりの激痛に舌を噛んで死のうとしますが、成分を取りきるまで死なせてすらもらえません。
フォアグラや北京ダックも同様です。生き地獄です。
意識が取り除かれるまで、どれほど恐怖だったろうと思います。
また、多くの研究所や実験室で行われている生き物に対する非人道的な扱いは言うに及びません。
こうした家畜以下の取扱いを行う動機は欲望ですが、霊的混乱が根本にあるため、良心が麻痺しています。
人間によるあらゆる自己実現の追及を強欲に求めた結果としての邪悪な末路は、最終的に戦争やあらゆる悲劇と破滅をもたらしますが、それは云わば身から出た錆であり、悲しみと言うより虚しさを強く感じます。
しかし悪しき者たちの犠牲となる被造物たちには悲しみが付き纏います。
彼らは長い歴史の中で、常に邪悪な者たちからの圧迫と恐怖と闘い、傷つき、逃れられない苦しみがあり、何世代にも渡るうめきが全地に響いています。
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。 (ローマ8:22)
日に日に不穏な霊的空気を感じ、祈りを強めていた数日前、久しぶりに主と顔と顔を合わせるように交わりました。
昼の祈りのあと、「主よ、私にお話ししたい事があればどうぞ」と言うと、主イエスはすぐ話しかけて来られました。
主イエスとの会話
主 「あなたに聞きたいことがある。あなたは被造物の命が儚いと思うか」
私 「人の生涯は草のよう。風が吹くともうそこにないという聖句のごとくかと思います」
(悲しく答える)
主 「その聖句は確かに私から出たものだ。では千年王国に行く人々の命は儚いと思うか」
私 「永遠の命で若くされる希望を持っていますので、儚いものではないと思います」
主 「被造物たちの命はあなたが思っているより強い」
私 「でも祈り会の課題(※)を思うと、あまりにも生き物と子どもたちの命の扱いが軽すぎて悲しいです」
(※当祈り会では人と機械(生き物)の融合・臓器売買・幼児性虐待・儀式殺人の無効化を祈っています)
主 「生き物たちの意識はある一定の時間が経つともう苦しんでいない。あなたはそれ(苦しみ・悲しみ)をになうことは出来ない」
私 「悲鳴を上げてつらそうですが。彼らの苦しみに心を寄せないと、主は私を冷たい人だと思わないでしょうか」
主 「だから私がいる。私が彼らの苦しみ・痛みを共にいて引き受けている」
(ここで深い御心を知り、泣く)
主「私はあなたに笑顔で、毎日喜んで生きて欲しいと願っている。
あなたは自分の担えないことで苦しまなくて良い。もっと私に委ねなさい。」
…夏至が近づくに従い祈りながら、ますますつらい沈んだ気持ちで過ごしていた私の心痛を主イエスは全てご存知でした。
主はそんな私の心を見抜いて、解きほぐし、私の神概念も諭して下さいました。
主イエスキリストは、この世で苦しむ者たちひとつ、ひとつの命に寄り添い、その痛みを自分のものとして身に引き受け、同じ痛み・苦しみ・絶望を味わい、それらを御体に吸収し、私たちの負担を軽減して下さっています。
私たち自身に血筋による咎があったり、自分の意思で間違った選択をして罪を犯しても、十字架上で人類全ての罪を贖って下さった神の子羊であるキリストに悔い改めて心を注ぐなら、あなたの痛み・悲しみ・苦しみは十字架の血潮で聖められ、大きな解放を受けるでしょう。
ある人は完全に癒され、ある人は少しずつ癒されます。
問題のある霊的領域には深さや階層があり、瞬時に癒される場合と、痛みを軽減される中で様々な自分で気づくべき問題に目を開かれながら癒されるケースもあります。
すべては全知全能の主による、折にかなった御業です。
神による最良の取り扱いの中で、時宜にかなった癒しがもたらされます。
まことに神の真理は癒しです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
(ローマ8:21)
祈り
父なる神よ この御言葉が神の御命令として被造物たちすべてに速やかになりますように。
「御国がなりますように。御心が天で行われるよう地でもなりますように」と言う御言葉が、地球のすべて宇宙のすべてになりますように。
慈しみ深い主イエスの御心が、あなたを待ち望むすべての命の上に、溢れるばかりに注がれますように。
御心と一体となって共に祈る者を、守りの火の城壁が取り囲み、豊かな祝福が注がれる事を、力強いイエスキリストの御名により祈ります。アーメン。
今日はいよいよ決戦の日、祈り会です。
夜10時から1時間に拡大し、同時祈祷会を行ないます。
今夜は万軍の主であるイエスキリスト、神ご自身が戦うと啓示を下さっています。
ハレルヤ 主に栄光