序文
主イエスは、現代は霊的刷新の時代だと言われています。
「めだかの学校」から霊的覚醒へ移らなければいけません。
そのために主は、生きた信仰生活を追い求めている聖徒たちに新しい知識を油注ぎたいと願っておられます。
「目覚めるものはみな目覚め、これから霊的知識をアップデートする季節にいる」と、主は啓示されています。
数回にわたり、聖徒のみなさんへ主から霊的刷新につながる知識をお伝えする、その2回目です。
どうぞお付き合い下さい。
不幸の種類
世の中には2つの不幸があります。「避けられない不幸」と「回避できる不幸」です。
神を信じないと言う人で「神がいるなら、何でこんな不幸が起こるものか」と神に八つ当たりする人がいますが、なぜ避けられない不幸が必ず神から来ていると思うのでしょうか。
それ自体、逆説的に神がいると認めている心理を露呈しています。
不思議な事にこう言う人々は、その不幸が悪魔や悪霊から来ているとは1ミリも疑わないのですが、一度疑ってみるといいと思います。全てではないですが、奇妙な事故や病の原因が霊的問題から発生している事は充分にあり得ます。
また回避可能な不幸は、自分自身の間違った選択から発生する場合が多く、その結果の不幸は個人の責任問題です。
そのような場合でも普段は神をないがしろにして生きているのに「神がいるなら何故!」と怒りを燃やしたりします。
これは未信者だけに見られる傾向ではなく、割と信者でも間違えている人を見かけます。
間違えていると表現したのは、これまで自分を傷つけた人々と神のご性質を、無意識の領域で重ねる思考の癖を指しています。
これらの人々は幼少期に父親との関係性で負った深い傷があります。
小さな子供にとって「親は世界観そのもの」です。
ですから幼少期(7才位まで)に親が自分にした今思い出してもつらい・悲しい出来事、自分が親に対して強い感情を抱いた出来事、それらすべて後の人生の基本・土台となって働きます。
それゆえ大人になっても、イエスを信じてクリスチャンになっても、不幸な出来事やストレスが続いて傷が疼くと、自分を充分にケアしなかった親と父なる神が潜在意識の中で同化し、神に対して激しい怒りや悲しみが湧いて来ます。
これは悔い改めの祈りで解放が可能です。祈りの順序として、悔い改め→断ち切り→癒しを祈ります。
中には悔い改めの告白が出来ない人もいて、思考の縛りという目に見えない鎖の強さを改めて感じる事もあります。
そのような人に私がいつも伝えている御言葉があります。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。
それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」と主は言われる。
(ローマ12:19)
解放のセッションで「私は父を(母を)赦します」と言えない人には、この御言葉を伝え「怒りと悲しみの重荷をイエスに取り除いてもらって楽になりましょう」と勧めています。
もう1つ「赦しは相手がした悪い行為を肯定するものではない」という事。
これも明確に伝えます。
これまで解放の現場では、怒りを持ち続けそれが人格の一部になるまで持続的な強い憎しみになっている人の心身には、何らかの病の症状が出ています。
これは繰り返しネガティブな感情が湧き上がる心に、神を完全に拒絶した領域が出来てしまい、怒りや憎しみを好物にする悪霊が入り込み、御国と不和を起こしている現象です。
創造主は「あなたの父や母を敬え。そうすればあなたの齢は長くなる」と聖書で言われる通り、親を裁く心が寿命を縮めるほど深刻なダメージを身体にもたらすと警告しています。
親や他人に傷つけられた上、病まで背負う必要はありません。
心の奥底に隠し持っていた親と不調和な領域を手放し、御国の祝福を受け取りましょう。
赦しの祈り
「天の父なる神様 主は打ち砕かれた心に近くにいて 悔いる霊を救ってくださると聖書に書かれていますから、今私はあなたの御子イエスキリストの御名により祈ります。
私は父が(母が)私にした(言った)_____(←具体的な傷ついた出来事)をイエスの御名によって赦します。
私は親を裁いた心を悔い改め、親を敬います。
今、_____があった領域を聖霊の光が照らす事を求めます。
暗闇だった心の領域を神の国へ明け渡し、イエスの血潮で覆います。
今、私の傷ついた魂の部分が生ける泉の水に浸され、イエスが私の心の傷を吸収しました。
私はイエスの愛による完全な癒しを受け取ります。
また罪を足掛かりにして侵入していた悪霊たちをイエスの御名で全て縛り、追い出します。
しつこく居座ろうとするものたちは、御使いたちに捕らえられ、父なる神の雷が下る事を宣告します。
主イエスの解放を感謝します。アーメン」
極端なトラウマでない限り、こちらの祈りは解放に有効です。
長期間の虐待経験や人格が解離するほどのダメージを抱えている場合、一人で祈っても充分な解放に至らない事があります。
解放のセッションご希望の場合はこちらよりご相談下さい。
神の支配に伴うもの
最も正しい裁きを行なわれる真の神にすべてを委ねた瞬間に、心が軽くなるだけでなく、多くの場合病も癒しに向かいます。さらに思いがけない経済の祝福や仕事が好転したりするケースもあり、解放された領域に、祝福と守りが働くことを証しています。
支配に守りと祝福…と言うと、少し違和感を持つ方もいるかも知れません。
「支配」という言葉は、強圧的なイメージで使われることが多いため、御国の支配についてご説明します。
人間社会には様々な支配構造が置かれ、何らかの形で代価を支払ったり、ルールや取り決めに従うことで、社会生活に必要な一定の擁護やインフラの享受を受けられる仕組みとなっています。
ところが歴史を振り返り国家の支配構造を見ると、必ずしも支配に国民の守りは義務付けられておらず、それどころか独裁政権下の様々な国では多くの無辜の命の虐待や殺戮が行われてきました。
創造主の支配は、人間社会における支配構造とは全く違います。
神は正義の神ですから、神の御国の子とされたあなたを放って置いたり、途中で投げ捨てる事もありません。
人間社会では、統治者や政府が変わると支配構造が変化しますが、御国の支配力は永久に変わりません。
有限な命の人や富に頼ると心は不安にさいなまれますが、人や自然環境、地球、宇宙をも造られた永遠に力強い神に寄り頼むなら、この世にはない平安で心は満たされ続けます。
この世はすべて神の関与した結果か
もう1つ神に怒りを感じたり、時には大きな失望を感じる人々の大きな原因は「神が全てを支配している」という勘違いです。
確かに全能主は、すべての時代、すべての空間、すべての人、すべての出来事を掌握し、地球と宇宙の全てを計り知れないバランスでコントロールしています。
ただし、真の神は人の選択を尊重するお方です。
ここが悪魔との決定的な違いでもあります。
悪魔は、人の思考に破滅をもたらす思いを入れて来たり、強烈な悪しき罪への誘惑を働きかけて来たりして、人の人生を罪で束縛しようと試みますが、神は人を誘惑する事は決してありません。
さらに人を真心から愛する神は、人の心の自由・選択権を奪う事もありません。
ここの理解が不十分なために勝手に神に怒りを燃やすパターンが多いですが、救われた信者でさえもこの間違った神概念に囚われているケースがあります。
福音の奥義
古典神学には名著もありますが、キリストの福音を矮小化した古い神学を用いた教派で入門教育を受けた信者たちから見聞きするキリスト論には、以下のようなものがあります。
「人間は徹底的に罪深い存在なので、私はキリストの憐れみで何とか救われたが、善い行いを積んで行かないと…。神によって全てはもう決まっているから地獄に行くかもしれない。だから毎日自分の愚かさ、惨めさを告白して、日曜日教会行くことで何とかギリギリ救われる…」
…何と惨めな福音でしょう。
イエスが十字架で私たちの罪のために手と両足に釘を打たれ、被造物全ての苦しみを背負って死なれた血の犠牲と復活がもたらした福音は、そんな小さなものではありません。
1つの罪も犯さず生きた者の命は、キリストの前にも後にもなく、罪を贖う完全な生贄です。
イエスが流した十字架の血潮は、あらゆる呪いを無効化し、あらゆる血筋の咎を打ち消す最強の贖いの力です。
こちらの聖句をご覧ください。
つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 (ローマ8:21 新共同訳)
キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。 (Ⅱテモテ1:10)
イエスの福音とは、人と被造物すべてを解放し、回復するほどのとてつもない強大な力です。
もちろんキリストに救われた者たちが日々聖化される事は大切ですが、主の救いは人の救いや個人的問題にだけに限定されたものではありません。
救われた信者たちをいつまでも惨めで愚かで、頼りない者に留め置くのは「宗教の霊」です。
それどこか主は、私たちを御国をもたらすために共に働く同士として下さっている事を知らないでしょうか。
御国の計画
神がすべてを勝手に行ない、全ての結果が神によって自動的に決まっていると言うならば、なぜ神は十二弟子を召し育てたのか考えてみて下さい。
とんちんかんな事ばかりしていた漁師たちや、決して社会的に恵まれた地位にない者たちをイエスは弟子として、友とも呼んで、神の国の働きに召しました。
人を用いて御国をもたらす事は、神のご計画の重要な柱だからです。
主イエスが聖徒に与えた権威がどれほど強大なものか、以下の聖句をご覧下さい。
イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。(ルカ9:1)
確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。(ルカ10:19)
勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。
(ヨハネ2:26)
このような奇跡の働きがある時は、必ず御国との同調が力強く起こっています。
主イエスは御国への扉であり、ポータルです。
私たちがイエスの権威を着て、御心と一致して祈るなら、御国が私たちと重なり、祈りの周波数は衝撃波となり、人を救いに導き、生き物自然にも超自然的な回復をもたらし、地域を解放します。その働きが広まれば、さらに国家、地球宇宙に至るまで影響を及ぼすでしょう。ハレルヤ
最後にこの御言葉を贈ります。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
(エペソ 1:19 新共同訳)