※これは2007年頃、主から与えられていた啓示の解き明かしで、過去Xに投稿したものです。
邪悪な集団に仕える正体を偽装する罪
ある有名な牧師が、人間の手で造られた大きなマリア像の足元にすり寄り、
まるで猫のように体を擦り付け大喜びしている。
その牧師とその姿を見て、私はとても驚いた。
表向きカソリックを非難しているその牧師の本性を、主は私に見せられた。
あまりに信じがたい啓示で何年も受け取れなかったが、今なら彼を操る裏に潜む者たちが容易に理解出来る。
主の目に隠れていることは何一つありません。
20年近く前にこの幻を見せられた意味に、今深く心を寄せるとー主はすでにコロナ禍の特殊な状況下が、彼及び彼らが暗躍する恰好の機会となることを知っておられ、私にそしてこの記事を読む主の者たちに「人の目ではなく、神の目で見よ。」と教えられた。
そこに神の摂理を見る。
また 当時見た幻を思い起こすと、彼の霊性は闇に包まれ薄暗く、キリスト教に偽装したオカルティズムを背景に持つ集団との密接な関係性を感じた。
この幻を全知全能の神に与えられたからこそ、はっきり言える事がある。
それは彼らの教えや働きがどんなに良いものに映ったとしても、実際には良心的であったクリスチャンすら惑わし変質させる、とんでもない毒であると主は語られているのである。
さらにその教えは秘められた場所で作られ、プロテスタントクリスチャンの世界を骨抜きにし解体する、恐るべき意図を持った破壊工作として存在しているのである。
プロテスタント信仰を持つ人はどこか「自分はカソリックのようにマリヤ崇拝や聖人崇拝などの偶像崇拝はしないし、聖書もちゃんと読んでいる」という自負があるのではないか。
カソリックの堕落化とは全く別のアプローチで、プロテスタント信仰の歪みが巧妙に計画されているとしたら、そのような自負が「驕り」となった時、邪悪な計画者たちがつけ入るに十分な隙になる。
またそうした闇の集団から(当然彼らも反キリストである)―暗闇の計画を目くらましするに最適な、この国のプロテスタント世界を知り尽くした人物がピックアップされ重宝されるという、見事に現在の状況に合致した答えが導き出せるのである。
急速に進む全体主義における淘汰
今、世界は統一政府化に突き進んでいる。
その動きの中で、既存の様々な産業、芸術芸能、企業、個人生活に至るまで淘汰されている。
そのことは様々な世俗のニュースに表されている。
私たちがよく目にする事件出来事のほとんどが、支配しやすい統一世界作りのため意図的に報道されており、淘汰計画に深い理解のない層も大量動員して計画を推し進めているのだろう。早急で強引な手法が目につくし、粗が多い。
だからどのニュースサイトや報道機関を見ても、よほどのテレビ信者でない限り、世の中の不自然な変化に何かしらの違和感を抱く人は増えている。
その感覚は間違っていないし、これからもっと顕著に世界の変質が起きると違和感は増大し、完全な確信へと変化するだろう。
支配者層ーサタンに仕える者たちの嘘、偽装、擬態に目が開くはずだ。
信仰者たちはこの世がサタンの支配下にあると聖書で教えているものの、まさかそれが自分たちしかもプロテスタント教界であるわけがない!と高を括っていたら、大きな罠にかかる可能性がある。
手の付けやすいカルト認知されている団体からすでに淘汰が始まっている。
これがなぜ一般の教会に波及しないと言えるだろう。
サタン悪霊たちの動きと偽装について聖書箇所以下参照。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」(第1ペテロ5:8)
「ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はその仕業にふさわしいものとなります。」
(第2コリント11:15)
使徒時代から教会は人間の作った主義神学に荒らされ「私は誰それに付く」という派閥争いもあった。
さて現代の賢いはずのプロテスタント信者たちよ。
創造主の教えより、被造物の人の教えに心奪われていないか。
神の聖霊に代えて「~主義」や「~説教者」の教えに執着し、私から離れていないか。
…そうイエスは問われている。
今、主から示された聖句は以下である。
「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。」
(第1ペテロ4:17)
私はかねてより「終末時代」というキーワードで多くの記事を書いている。
それは我が主イエスキリストが日本を愛し、日本人を愛し、日本の数少ないキリスト者を守りたいという大きな憐れみが、時に小さき者に預言を与え、幻の中で近未来を啓示することで、見るべき者が見て注意し、知るべき者が知り悟るようにされているのである。
「目を覚ましていなさい」と主イエスは私たちに命じられた。
この偽りに満ちた時代に信仰を保つには、人間的高慢を聖霊にきよめられ、目の曇りが取れたら、主を知る霊と主を恐れる霊を聖霊に頂く必要がある。